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12/11/2007

【演劇】文学座『かどで』『華々しき一族』2007.12.10

Hanabanashikichirashi


文学座アトリエ公演『かどで』『華々しき一族』
2007年12月10日(月) 18:30〜 文学座アトリエ


個人的には、本年度演劇部門 最大の衝撃である。

文学座のアトリエ公演。『女の一生』で知られる森本薫が1935年に書いた戯曲で、杉村春子の十八番の一つだったもの…今時の演劇ファンで、そんな作品に大きな期待をする人間はほとんどいないだろう。僕も同様だった。

それだけに心底仰天した。驚天動地とは、このことだ。

これが本当に1935年、今から72年も前に書かれた戯曲なのか。

さらに、作者の森本薫がこの戯曲を書いたのは23歳の時だったというチラシの記述は、メガトン級の破壊力を持っていた。

「これは絶対にチラシのミスプリントだろう。23歳ではなく33歳の時の作品に決まっている」

しかし手持ちの電子辞書で調べたところ、それが間違いでも何でもないことがわかった。

さらに帰って調べてみると、森本薫は旧制高校在学中の1932年に最初の戯曲を執筆。この2作を書いた1935年、彼はまだ京大に在籍する学生だったということもわかった(1936年に卒業)。

しばし呆然。

そんなことがあっていいものなのだろうか。


この前日、グリングの『Get Back!』を見た。それはグリングの中でもかなり上位にランクされる傑作であり、あらためて青木豪という劇作家が信頼に足る才能の持ち主であることを確信させる出来だった。
ところが、この文学座アトリエ公演を見た途端、その傑作の印象が消し飛んでしまった。
青木豪は間違いなく現代屈指の優れた劇作家だ。その青木豪でさえ、この森本薫を前にした途端、何と鈍臭く見えることか。作家としての出発点に、決定的な差がありすぎる…
青木ですらそうなのだ。この戯曲をたった23歳の若者が書いたと知ったら、現在劇作家と名乗っている人間の90%以上は首を括りたい気分になるだろう(まあ、そういう気分になるだけで、実際に首を括るほどナイーヴな人は劇作家にはなれないと思うが)。

世の中には、努力や経験の蓄積などでは太刀打ちできない真の天才がいることを、久しぶりに思い知らされた気分だ。


『かどで』も『華々しき一族』も作劇術が圧倒的に上手い。まだ大学生の若者が、何故こんなにも上手い戯曲を書けたのか、まったくもって謎である。「天才だったから」という批評性ゼロのフレーズを呟いて、お茶を濁すしかなさそうだ。
内容やタッチは川島雄三の映画を思い出させるものだが、それを遙かに飛び越えエルンスト・ルビッチの映画に近いところまで到達している。前にもどこかで書いたが、僕が「ルビッチのようだ」と言ったら、それは最上級の誉め言葉である。


だが僕が23歳という年齢にここまで驚いたのは、技巧的な上手さだけではない。

両作品とも「恋愛」がメインテーマになっているのだが、その恋愛に対する視点が、到底23歳の若者が書いたものとは思えなかったからだ。

若者だからこそ書ける恋愛物語は当然存在する。その多くは多分にロマンチックで情熱的なものだ。ところがこの作品に描かれた恋愛模様や、恋愛心理に対する作者の視点は、ゾッとするほど醒めている。

人を恋する情熱ではなく、その情熱を葬る諦念を、
恋することの美しさではなく、恋することの滑稽さを、
人を恋する充実感ではなく、人を恋することの空虚さを、
相手に対する無私の愛ではなく、恋する自分への自己愛を、
何ら声を荒げることなく、過度な嘲笑も憐憫もなしに、森本薫は描ききっている。

その視点はやはり「醒めている」という言葉がピッタリだ。甘いロマンチシズムはおろか、希望や絶望といった強い感情の波さえ排し、ここまで恋愛を突き放して描くことが、23歳の若者にとって、どれほど困難なことか考えてみるがいい。こんなものを23歳で書ける人間の精神構造に、僕は一抹の怖ろしさすら感じる。

こんな風に書くと、何か非常に厳しく残酷なドラマが展開されるように思われそうだが、とんでもない。『かどで』は、岸田國士を彷彿とさせる(と言うか森本は一時 岸田に師事していたらしい)穏やかな人情ドラマ風の作品。『華々しき一族』は、それこそルビッチや川島雄三の映画を彷彿とさせる恋愛コメディだ。どちらも大いに笑える。
しかし何度も書くようだが、そのようなドラマを描く作者の視点は、怖ろしいほど客観的で醒めたものだ。

『華々しき一族』の終盤、ある人物がいささか理解不能な発言をした理由を問われ、こう答える。「だって他にすることがないじゃないですか」

一体何なんだ、その虚無感は。

なぜ23歳の若者が、あのシチュエーションに、そんな怖ろしい一行を書くことができるのだ。お前は、たった23年の人生で一体何を見てきたのだ。

作中に「お前たちは、若者のくせに、それらしい情熱をまったく持ち合わせていない」というような台詞が出てくるが、森本薫自身が、周りからそのようなそしりを受ける若者だったに違いない。


森本薫の経歴を調べていくうち、「あ、やはり」と思ったことが一つある。
彼は大学在学中から肺結核にかかっていたそうだ。
それと同じ経歴を持った劇作家がいる。チェーホフだ。
なるほど、この両者の、人間の営みに対する異常なほど客観的な視点や、悲劇的な出来事が喜劇となり喜劇的な出来事が悲劇となるような作風は、同じバックグラウンドから生み出されていたのかと、大いに納得がいった。
もちろん両者の作風の類似性を肺病だけに帰すわけにはいかないし、肺病患者が全て偉大な劇作家になれるはずもない。しかし死の影が常に自分の体内に宿り、女性に恋をしても単純に明るい未来を抱くことが出来ない状況が、恋のロマンチシズムから距離を置いた彼らの作風に、少なからぬ影響を与えたことは間違いないだろう。
なおチェーホフは1904年に44歳で、森本薫は1946年に34歳で亡くなっている。遺作はそれぞれ『桜の園』と『女の一生』。二人とも、人生の最期に代表作を生み出したところまでよく似ている。


データとして、文学座のHPからキャストとあらすじを転載しておく。

『かどで』

千哿子   添田園子
仙二郎   中村彰男
やす子   倉野章子
外彦    浅野雅博

演出=森 さゆ里

郊外。サンルームの客間。経済学の学者である外彦の妻・とも子が病床に臥してすでに二年。病床の妻の気は荒み、いやみっぽい感情は、強くなる一方である。母・やす子は、娘婿に対する気兼ねも合って気が重い。とも子の看病にあたっているのは家政婦の千哿子。ある日、やす子の弟・仙二郎がやってくる。妻に先立たれ商売もうまくいかず、不運続きであるのにどこか開き直ったかのような態度の仙二郎。仙二郎の存在が静寂なこの家にさざなみをたてていく・・・。


『華々しき一族』

鉄風   飯沼 慧
諏訪   稲野和子
昌允   高橋克明
美伃   石井麗子
未納   高橋礼恵
須貝   押切英希

演出=戌井市郎

鉄風は映画監督。妻の諏訪は前衛の日本舞踊家。二人には、3人の子供がいる。長男の昌允は、父と母の芸術に批判的なビジネスマン。姉の美伃はしとやかで内向的、妹・未納は活発で行動的である。彼らは、義兄弟であり、昌允と未納は鉄風の子、美伃は諏訪の子であった。そしてこの家には、鉄風の弟子である須貝が同居していた。同じ屋根の下に住む義兄弟と同居人。4人の恋心は、微妙に揺れ動く。ある日、諏訪が結婚話を須貝に持ち掛けたところ、意外な答えが返ってきた・・・。


上のあらすじだけ読んで「ぜひ見たい!」と思う人はごく希だろう。それがこれだけとてつもない面白さを秘めているのだから、世の中は本当にわからないものだ。

ちなみに上演時間は、『かどで』が約55分。休憩15分を挟んで、『華々しき一族』が約1時間45分。合計3時間近い長丁場なので、普通なら『華々しき一族』だけにしようという話になりそうなものだが、『かどで』との二本立ては絶品の組み合わせ。これをあえて二本立てで上演した文学座の配慮に深く感謝したい。


さすがに文学座だけあって、俳優の層が厚い。役者は一人残らず好演。どちらも「たとえ素舞台であっても、良い戯曲と良い役者がいれば面白い演劇は出来る」ということを証明するような作品になっている。

『かどで』では、添田園子の押し殺したような感情表現と、「憎みきれないろくでなし」を飄々と演じた中村彰男が特に魅力的。実際には四人しか出ていないのだが、会話の中にだけ登場する外彦の妻が、その四人に劣らぬ存在感を感じさせるところも凄い。
それにしてもあのラストにおける四人四様の感情表現は、今思い出しても鳥肌が立つ。芝居というものは本来あれだけでいい。あれだけで人の心を深く揺さぶることが出来るのだ。ところがあのようなワンシーンを描き出せる作家と役者がいないから、あの手この手と奇手を繰り出しては、今日も明日も皆でバタバタと騒々しい芝居を作っているのだ。ああ、何と言う無駄な労力…そんな残酷な事実を思いきり突きつけてくる、最高のラストだ。

『華々しき一族』で不思議なのは、年代の設定だ。『かどで』は明らかに戯曲が書かれた時代、すなわち昭和初期の雰囲気なのに対し、こちらは1950年代と現代が混ざったような感じなのだ。これは戯曲のせいではなく、意図的な演出だろう。台詞も細かい部分でかなり現代風に直されているようだ。
また、飯沼慧や稲野和子は、この役を演じるには20歳以上歳を取りすぎている。見栄えはともかく、高橋礼恵や石井麗子も、実は役柄より15歳ばかり歳を食っている。違和感を感じることもたびたびあったが、それを味と演技力で乗り切ってしまうところが芝居の醍醐味だ。
飯沼慧など台詞を噛みまくっていて、発音さえ怪しいのだが、そんなおぼつかなさをとぼけた味わいに転化してしまうのがベテランの技。この人の台詞回し、可笑しすぎる。
恐るべきは高橋礼恵。実年齢を知らなければ、本当に役柄くらいの年齢だと思ってしまう若々しさだ。『サド公爵夫人』『シラノ・ド・ベルジュラック』でもヒロインを演じていたが、とても明るく華やかな魅力を持った女優で、文学座随一のお気に入りだ。
そして、この作品中で僕が特に共感を覚えたのは、高橋克明の演じた昌允だ。あのキャラクター造形は演出の指示によるものなのだろうか、それとも高橋自身のアイディアによるものなのだろうか。彼のおかげで、この作品の現代性と喜劇性が格段にアップしている。


役者も素晴らしいし、演出も良かった。

だが僕にとって最大の収穫は、やはり森本薫という天才劇作家を知ったことだ。

調べてみると、森本薫の戯曲集などは、今すべて絶版になっているらしい。ぜひ読みたいのだが、図書館などで読む以外にないのだろうか。気軽に利用できる場所に図書館がないため、基本的に図書館を利用することはないのだがなあ…

考えてみると、『女の一生』など、タイトルだけは腐るほど聞いているが実際に見たことがない。今度上演されることがあったら、見に行くことにしよう。

今年は、東京乾電池の公演で竹内銃一郎を知ったのも大きな収穫だが、森本薫の衝撃は、それを遙かに超えるものだ。ああ、世の中には、まだ僕の知らない名作が、海辺の砂のごとく存在しているのだなあ…


(2007年12月)

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Comments

はじめまして。
ふらりと訪れさせていただきました。
私も、文学座アトリエ公演観劇に行っていました。
森本薫、衝撃でした。
もしかしたら知っておられるかも知れませんが、3作品程下記のサイトで読むことが出来ますので、もしよかったら・・・。hとってますので。

ttp://www.aozora.gr.jp/index_pages/person827.html

Posted by: ちゃあ | 12/20/2007 at 15:49

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